昨日、
10月10日(日)は
地元のお祭りがありました。
多治見市にある
新羅神社のお祭りです。
今年は、私が住む第4区が当元区でした。
お祭りの当番ということです。
7年に一度、当元が回ってきます。
第4区は、わずか160世帯と多治見市でも一二を争う小さな区です。
だから当元が回って来ると家族総出で
お祭りの仕事をしなくてはなりません。
この日のために2年前から準備に入り
何度も会議をしてお祭りにのぞみました。
しかし、前日は、あいにくの雨。
私たち
祭礼実行委員会は
天気が悪いときのシュミレーションを何度もして
お祭り当日を迎えることになりました。
雨の心配をして夜も寝られないぐらいでしたが
みなさんの行いが良かったのか好天に恵まれました。

みこしもお歯車、太鼓も
雨が降っていたらビニールシートをかぶせてのお祭りでしたが
天気になって良かったです。
朝8時に
新羅神社に行き準備をしてから
衣装に着替えました。

私は、白丁という衣装を着て
子どもみこしの安全管理をしながら
みこしを盛り上げる仕事でした。

みんなに「なんかインチキくさい」とか「おじゃる丸」と言われながらも
頑張りました。
安全に行列が遂行するよう
新羅神社でお祓いをします。

この神社の建物のしめ縄の上の部分に注目してください。

この彫り物の装飾は、国家遺産?だったと思います。
文化遺産?だったかな?
たしか、
宮司さんが言ってみえました。
このブログを見ていただいた地域の先輩から
この件に関してメールで親切に教えていただきましたので
紹介させていただきます。
本殿の彫刻ですが、あれは多治見市の文化財の指定を受けています。
尾張藩の彫り物師である故早瀬長兵衛(はやせちょうべい)の作品で
故早瀬長兵衛氏の作品は
建中寺(名古屋)、東本願寺(名古屋)、彦根城天守閣(彦根市)、
名古屋城本丸、永平寺、東福寺などがあります。
さて、普通で考えてそのような有名な人が
当事の田舎である多治見まで来てくれたのか????
裏付けは、故西浦園治(三代目)の力によるものです。
当初、この作品は
「地元池田町屋の彫師である野村作十郎の作といわれている・・」と
「多治見市史」にも記載されていたが
その後の調査で本殿の屋根裏にある棟木を
取り外してX線や赤外線などで調べたところ
この事実が判明したという経緯があるのです。
驚きました。
勉強になりました。
ありがとうございました。
さあ、お祓いが終わると行列のスタート地点の
神明神社にバスで移動をします。
午後1時に行列はスタートしました。
私は、行列に参加していたため写真が撮れませんでしたが
新羅祭典は、無事に終了しました。
そして、お祭りを通して、また知り合いが増えました。
しんどいですが良いことだと私は思います。
みなさん、ほんとうにお疲れ様でした。